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鶴ヶ城

鶴ヶ城

白虎隊の悲話で知られる、会津若松市の鶴ヶ城にはソメイヨシノ、ヤエザクラ、シダレザクラ、ヤマザクラなど約千本の桜が植えられています。

日本さくらの名所百選(日本さくらの会)に入る国指定史跡でもあります。

鶴ヶ城

桜の歴史は、1908年(明治41年)会津若松市に、陸軍歩兵第65連隊が設置された記念に植樹されたのが始まりとされています。
それまで城内の木は松、杉、ケヤキのみであったといわれています。

鶴ヶ城

会津随一の桜の名所で、天守閣からの眺望、本丸を囲む石垣の上や月見櫓から天守閣を見ると、まるで桜の海に天守閣が浮かんでいるかのように見えてとても美しいです。
お堀をぐるっと囲むたくさんの桜と、散った花びらで一杯の水面も感慨深く、桜吹雪もまた見事。

鶴ヶ城

桜の開花時期の日曜日には「鶴ヶ城さくらまつり」が開催され、いなせな法被姿の担ぎ手衆が神輿を繰り出します。夜と昼、神輿を楽しめます。
(2013年は4月20日(土)~21日(日)開催)

桜の時期にはライトアップも行われ、夜桜に包まれた鶴ヶ城も幻想的で美しい。

鶴ヶ城

鶴ヶ城

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鶴ヶ城の歴史について
1384年、蘆名氏7代当主の蘆名直盛が小田垣の館(または東黒川館)を築いたのが鶴ヶ城の始まりと伝えられています。
蘆名氏は会津守護として会津を支配していき、黒川城として城下が成立していきました。
葦名盛氏の時代にはさらに勢力を伸ばし、奥州では伊達氏と並んで名を連ねるほどの大名となりました。

葦名氏の重臣、石部治部大輔の屋敷の庭にあったとされる遺愛の樹が、現在は会津五桜に数えられる石部桜です。

また、盛氏は室町文化の良き理解者でもあり、水墨画の巨匠雪村は葦名盛氏に招かれ1546年に会津を訪れ、20数年間会津で過ごしました。
そして1573年三春へ移り、田村氏の庇護の元晩年を過ごしたと伝えられています。
雪村が晩年過ごしたと言われる雪村庵には、美しいしだれ桜が(雪村桜)が咲いており、樹齢400年を越える今も満開の花を咲かせて多くの人を出迎えております。

鶴ヶ城

1589年、蘆名氏を破った伊達政宗が黒川城に入城するも、豊臣秀吉に従いわずか1年で会津を召し上げられ、陸奥国岩手山(宮城県)へと移る事になります。

伊達氏に代わり黒川城に入ったのが蒲生氏郷(織田信長の寵臣)で、城下町を整備し、町の名を黒川から「若松」へと改めるなど、現在の会津若松の基礎は彼によって築かれました。
「若松」の名は、蒲生氏郷出身地の日野城に近い馬見岡綿向神社(現在の滋賀県蒲生郡日野町村井にある神社、蒲生氏の氏神)の参道周辺にあった「若松の杜」に由来との事。
1593年に城の名称も「鶴ヶ城」に改められました。

1598年、氏郷の子・秀行は家中騒動のため、宇都宮に移封され、代わりに上杉景勝が会津に入ります。しかし秀吉亡きあと、徳川家康と対立し関ヶ原の戦いで西軍に加担した景勝は米沢へ移る事となりました。

景勝は神指城の築城も行いましたが家康との対立の激化とともに断念、現在は国指定天然記念物である高瀬の大ケヤキと染井吉野が咲く、桜の名所として人気のスポットとなっています。

鶴ヶ城

1601年に再び蒲生秀行が入城するも、その後家長が次々と若くして亡くなり、それによる家中紛争も絶えず、蒲生家は四代で途絶えてしまいます。

1611年9月に起きた会津地震では鶴ヶ城の石垣が軒並み崩れ、7層の天守閣が傾くなど大きな被害を被りました。
会津坂下町塔寺の恵隆寺、柳津町の円蔵寺、喜多方市慶徳町の新宮熊野神社、西会津町の如法寺にも大きな被害が出たという事です。
地震による地滑りや山崩れ、川の氾濫により死者は3700人に上ったと伝えられています。

1627年には蒲生家に代わり、加藤嘉明が伊予松山より入封します。
加藤嘉明はかつて豊臣秀吉に仕え、その死後徳川についた戦国武将です。
嘉明の死後、その子明成が西出丸、北出丸の造築や会津地震により倒壊した天守閣を五層に組みなおすなどの改修を行い、現在の鶴ヶ城の姿や近代会津の基礎を築きました。

鶴ヶ城

1643年、明成は家中騒動などで改易(更迭)され、代わって保科正之が最上(山形)から入封となります。
保科正之は二代目将軍・徳川秀忠の庶子、後に三代将軍・徳川家光に実弟として認められます。

三代目の保科正容の時代に、幕府から松平姓と葵の紋を与えられ、その後明治維新まで松平家の居城となります。
松平家の時代には有名な日新館も作られています。

1868年、戊辰戦争の際は降伏するまでの間、激しい砲撃にさらされながらも鶴ヶ城は1ヶ月にも及ぶ篭城に持ちこたえました。

戊辰戦争終了後、損傷の激しいお城は1874年(明治7年)に取り壊されましたが、 関係者の尽力により1965年(昭和40年)に内部を郷土博物館展示場として再建されました。
2010年(平成22年)には天守の屋根瓦が明治時代に解体される以前の赤瓦に復元され、現存するお城では唯一赤瓦の天守閣を擁するお城となっています。

「幾人の涙は石にそそぐともその名は世々に朽じとぞ思ふ」(松平容保)
会津戦争で戦死した藩士への追慕の歌。


鶴ヶ城

茶室 麟閣(福島県指定重要文化財)
千利休が豊臣秀吉の逆鱗に触れ自刃させられた時、千利休の子・少庵は蒲生氏郷を頼り会津へ逃れました。少庵は後に京へ戻りますが、会津にいた時期に建てたと言われる茶室です。

会津武家屋敷
江戸時代の会津藩家老西郷頼母の屋敷を中心に、福島県重要文化財である旧中畑陣屋や数奇屋風茶室、藩米精米所などの歴史的建造物が軒を連ねる屋外博物館。
黄色い桜の「御衣黄」があります。

撮影日:2007.4.15・ 2012.4.29

 鶴ヶ城 - DATA

【種 類】

ソメイヨシノ・ベニヒガン等 - 約1000本

【住 所】

福島県会津若松市追手町1-1

【交 通】

電車

JR会津若松駅から鶴ヶ城まわり線バス約10分

磐越自動車道会津若松IC下車約15分(駐車場約200台)

【URL】

会津若松市観光公社


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