旌桜寺跡の旗桜

旌桜寺跡の旗桜

旌桜寺跡には染井吉野など複数の桜が植えられていて、その中に旗桜と呼ばれる山桜があります。

旗桜について現地案内板によると、康平5年(1062年)、源頼義・義家親子が奥州征伐の帰路に当地で休息を取った際、旗竿を挿したところ根付いたという伝説が残っており、この木は伝説の木から三代目のものと思われます。


旌桜寺跡の旗桜
旗桜は、花の真中にある雌しべが変形して花びらのようになるもので、それが旗のように見えることからその名がつけられました。ただ、すべての花に旗が出るわけではなく、一枝に複数見られる程度のようです。
残念ながら目当ての旗桜はまだ蕾でしので次回は花が咲いてる時に訪れてみたいです。

義家由来の「旗桜」と呼ばれるものはこの桜の他にも複数あるようです。


白山神社 白旗桜

東京都文京区の白山神社にも「旗桜」がありますが、こちらも八幡太郎義家が奥州征伐の途中、旗をこの樹にかけ戦勝を祈願したと伝えられており、この事から「白旗桜」と呼ばれています。この桜も花の中に「旗」がります。(白山神社 白旗桜はこちら


白旗八幡宮 旗掛桜

栃木市湊町の白旗八幡宮にあった「旗掛桜」も源義家が、戦勝祈願の際、白旗を立て掛けた桜の木と言われていて、義経も参詣したことがあるそうです。こちらは既に枯死しており、社殿の裏側に「旗掛桜」の石碑が立つのみ。

いずれの伝説も義家に関係するものですが、「旗桜」という名前が義家が持っていた「旗」に由来するのか、それとも花びらの中に「旗」があるからなのかどちらなのでしょう。

旌桜寺跡の旗桜


旌桜寺(せいおうじ)の由来

康安元年(1631年)、佐竹義篤が大沢山瑞龍院を建立したところ、境内の桜が大変見事であったので旌桜寺(せいおうじ)の名がついたと伝えられています。
また源頼義・義家の位牌を納めた祠堂があり、徳川光圀が建立したと言われています。(現地案内板)

旌桜寺跡の旗桜

旌桜寺跡の旗桜へのアクセス

旌桜寺跡は住宅地の先を入った草地にあり、赤い屋根のお堂が目印です。道路が狭く近くまで車で行くことは難しいです。

撮影日:2019.4.13

旌桜寺跡の旗桜

【種 類】ヤマザクラ
【詳 細】樹齢不明
【住 所】茨城県常陸太田市瑞龍町2168 旌桜寺跡
【交 通】常磐自動車道日立南太田ICから11m、約15分(駐車場無し)

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