幹囲日本最大級の巨樹 国指定天然記念物
この桜の所有者である横山家の古文書によると、伊達政宗が14〜15歳の頃、鮎貝の合戦に初陣として加わった際、戦いに敗れ、この桜の洞に隠れて難を逃れたと記されています。
このため、後に家臣を遣わして保護にあたらせたということです。
また、坂上田村麻呂が蝦夷を平定した際に戦勝記念として植えた5本の桜の1本とも言われています。
地域の農家から田畑の仕事の目安として親しまれており、種まき桜とも呼ばれています。
枝が上に向かって伸びており背が高く見え、樹高・幹周りとも『伊佐沢の久保桜』を上回る巨木です。
特に幹周りは、目通り10.91mで全国で2番目の太さを誇り、幹の根元は空洞化していますが、堂々たる風格は見る物を圧倒。
昭和48年5月22日市指定天然記念物、
平成11年4月30日県指定天然記念物、
そして平成17年7月14日に国指定天然記念物に指定されました。
人と比較してみてもその幹の太さは圧巻。周囲には柵があり、桜を保護しています。
日本でも上位に入る名木です。